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いじめ自殺の心理学 by 林道義

2006/11/08 10:22

 


以下は林道義先生の発言全文です
アドレスは以下のとおり
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/sunpyo.html

平成18年11月5日

いじめ自殺の心理学

 いじめられた子供が自殺する事件が何件か続いた。同じ動機や気持ちを持っている子供は大勢いるし、子供は暗示にかかりやすいので、子供の自殺は連続して起きるものである。この不幸な流行を止めるために、何が必要なのか、心理学の視点から考えてみたい。

 

いじめられる側の心理

 報道を見るかぎり、いじめといっても、それほどひどいものではなさそうである。肉体的に虐待されたというほどでなく、ただ「うざい」「きもい」などという言葉によるいじめを受けただけらしい。もちろん、それでも受けた当人にしてみれば、堪え難い苦痛であったのであろう。ただ、いくら辛くとも、自殺するまでには、いくつかの関門があるはずである。たしかに、子供の場合には、生と死の境目が大人ほどにはっきりしていない傾向はある。しかし、実際には、その境目は厳然と存在しているのであり、そう簡単に乗り越えられるものではないのである。

 人間は本能的に死を恐れるようにできているし、家族の中で愛されているという実感があれば、めったに死を選ぶことはない。それを乗り越えて、はじめて実行するに至るのは、関門の強さに比べて死への動機の方が強くなってしまうからである。

 今回の一連のいじめ自殺を見ていると、一見、自殺した子供が「もろい」「精神的にひ弱」という印象を受ける。言葉によるいじめを受けただけで自殺してしまうというのは、大人から見ると「弱々しい」と思えてしまうかもしれない。しかし、この問題、ただ「弱い」「もろい」というだけで片付けられないところがある。自殺に至る心理はなかなか複雑だからである。自殺する人は、ただ「弱い」というだけでなく、反面「強い」ところがあるものである。

 一般的に言って、自殺するには相当大きな心的エネルギーがいる。自殺は自然の摂理に反する行為であり、人間の体も心も「生きる」ためにできているので、それに反する決断は自然に逆らうものであり、それゆえある意味での「強さ」がないと自殺はできないのである。その証拠には、一人では死ぬ勇気のない者たちは、ネットで募集しあって、集団で自殺する。「弱い」者は、仲間がいないと一人ではなかなか自殺もできないのである。

 それでは、いじめ自殺に至る場合の、「強さ」と「弱さ」とは何であろうか。

 一般的に言って、子供は大人が思っている以上にプライドが高い、つまり自尊心が高いものである。とくに小学校高学年から中学にかけて自尊心が発達する、あるいは強くなる時期である。言い換えると、自分を肯定したい気持ちが強い、周りから評価されたいという気持ちが強いとも言える。そのような心理を持っている子供ほど、「言葉によるいじめ」は大きなダメージを受けやすい。それは「おまえは価値がない」とか「存在する意味がない」と言われているに等しいからである。

 そういう否定的な「言葉」に対して、対抗する手立てがないのが普通である。自分の能力に対してかなりの自信のある子供ならば、「いまに見ていろ」「いつか偉くなって見返してやる」と考えることも可能だが、そこまでの自信のない子供は、てっとりばやい復讐を考える。いじめた子供の名前を書いた遺書を残して死ぬというのは、弱い者がてっとりばやくなしうる最も強い復讐である。もちろん復讐という動機だけで自殺したとは言わないが、動機の中に復讐が大きい割合を占めていたとは言えるであろう。

 いじめる者の否定的な言葉に対して、自己肯定感を保ち、自信を保持し続けることができるためには、何が必要であろうか。それは一口に言えば家族愛である。子供の側から言えば、親に十分に保護されているという感覚、親の愛を十分に受けており、親から大切に思われているという実感である。

 親が子供を大切に思っているということが、子供の心に十分に感じられている場合には、自分が死ねば親がどんなに悲しむか分かるはずである。親に愛されていること、大切に思われていることを日頃十分に感じ取っている子供は、学校でどんなに辛いことがあっても、家に帰れば保護された空間があり、暖かい雰囲気の中で癒される時間がある。それが強ければ、いざ死のうと思ったときに、いわゆる「母の顔」が浮かんできて、死を思いとどまる可能性が高い。

 大切なのは、親が子供を大切に思っているかどうかより、親から大切に思われていると「子供が感じている」「強さ」なのである。ところが、昔から「親の心、子知らず」と言うように、親が思っているほどには、親の愛情を子供は感じていない場合が多い。夫婦間でもそうだが、分かりきっていると思って表現しないと、じつは分かっていないということになりかねない。愛情というものは、表現しないと分からない場合が多い、ということを自覚することから、始める必要がある。

 

いじめる側の心理

 以上、いじめられる子供の心理に焦点を絞って考察してきたが、もちろん、いじめる子供たちの心理も考えてみる必要がある。

 第一は母性の不足である。知り合いの校長・教頭先生たちは、口をそろえて、いじめるのは保育園出身者が圧倒的に多いと言う。一般的にいって、母性が不足していたり、満たされない心を持っている子供は攻撃的・暴力的になる傾向がある。アメリカの研究でも、保育時間が一定以上に多いと、子供が攻撃的になるという結果が出ている。母親との接触時間が短いと、不満や不平が外に対する攻撃となって現れるのである。よく親の都合で「密度濃く」「集中的に」かわいがればよい、などと言うが、子供がそれで本当に満足しているかどうか、真摯に考えてみるべきであろう。

 第二は父性の不足による「男らしさ」の否定や正義感の欠如が、子供の世界のいじめの様相にも影響を与えている。このごろ男女区別を否定する思想が蔓延し、「それでも男か」とか「男のくせに」とか「弱い者いじめをするとは、男の風上にも置けない」という非難ができなくなった。それに比例して「卑怯」という言葉も死語になってしまい、集団で一人をいじめるのは「卑怯だ」と批判しても、相手はどこ吹く風で、恥もなにも感じないという有り様になっている。「男らしさ」や「父性」が否定された結果である。

 第三は特殊なコンプレクスやルサンチマンの存在である。強い劣等感や、差別されてきた(いる)という強い恨みの感情を親が持っている場合には、その感情は容易に子供に感染する。そういう家庭の子供は、なんらかの弱さを持った攻撃しやすい「標的」を見つけていじめることにより、うっぷんをはらそうとする。

 

教師側の問題

 このように見てくると、いじめの根源には親の問題があるとはいえ、親の母性も父性もルサンチマンも簡単に解決できることではないので、いじめをただちになくすことは不可能と言ってもいい。そこで大切になってくるのが、学校・教師の介入指導である。そのためには、まずいじめの事実をいかに早く掴むかである。

 いじめをなくす対策として最も効果的なのが、学校を中心とした「いじめ情報ネットワーク」を作ることである。教師への信頼感が強い場合には、子供たちから「誰がいじめられている」という情報が入りやすい。いじめ対応の基本は、いじめの事実をできるだけ早く掴むことである。

 いじめが問題になると、よく学校関係者が「いじめの事実を確認できなかった」と言うのを聞かされるが、そんなことは絶対にありえないのである。教師と子供、教師と保護者のあいだの信頼関係がありさえすれば、いじめの事実はただちに教師の耳に入るはずである。「確認できない」という言い方は、教師が親や子供たちから信頼されていないとか、無能であるということを白状しているようなものである。それどころか、教師の中に、いじめる子供に共感したり、かばったりする者が潜んでいる場合がある。

 教師自身が歪んだルサンチマンを持っている場合には、最悪のシナリオが現実のものとなる。教師はいじめの事実を知っていても見て見ぬふりをし、むしろいじめる側にひそかに肩入れしたりする。その結果、いじめはなかったことにされてしまう。それでは、いじめられる子供は救われない。こういう犯罪的教師は即刻追放すべきである。

 次の例などは、そうしたケースである疑いが濃い。すなわち、福岡県筑前町三輪中学校での自殺事件では、校長が最初はいじめがあった事実を認め、次に「いじめの事実は確認できない」と言い、最後に再びいじめの事実を認めるという醜態を演じた。

 じつは、信ずべき知人からの情報によれば、福岡県教育委員会が作成した「いじめ早期発見チェックリスト」が市町村教委宛に送付され学校現場で活用されていたはずである。ところが、先般の県議会では三輪中学校では県教委が作成した「いじめ早期発見チェックリスト」を使用していなかったことが明らかになったそうである。

 なぜこの「チェックリスト」を使用していなかったのか。県教委の指導に従わないという風潮と合わせて、いじめ対策に対するサボタージュがあったのではないのか。サボタージュどころか、「いじめる生徒は悪い社会の犠牲者だから」と逆にかばう左翼教師もいると聞く。

 そのことと関係がありそうな情報も、この知人は知らせてくれた。なんと三輪中学校のある朝倉郡の中学校3校で、日教組の組織率が61.1%だそうである(平均は30%)。この事実を知らされて、校長の発言が二転三転した理由が分かったような気がする。

 ここからは推測だが、いじめる側に同情的な教師たちにしてみれば、いじめの事実がなかったことにしてしまわないと、自分たちのサボタージュが明らかとなる。だから校長に圧力をかけて、「いじめの事実はなかった」と言わせたのではないか。しかし、遺書に名前を書かれた四人の親が被害者の自宅を訪れて謝罪したので、「事実はなかった」と強弁することができなくなり、やっといじめの事実を認めたという次第である。

 死をもって抗議をした子供が出て初めていじめの事実を認めるというのは、なんともやりきれない現実である。死ななければいじめをやめさせることができなかったどころか、いじめの事実を認めさせることすらできなかったというのは、日本の一部の教育現場がいかに狂っているかを示している。そうした非人道的で人権無視のいわゆる「人権派」教師たちは、早急に教育現場から排除しなければならない。

 

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